鯨学校石碑除幕式に出席

地元、奈多自治会主催の「鯨学校石碑除幕式」に出席しました。奈多小学校(今の奈多小学校ではありません)は明治6年に創立され、開校当時は西福寺の本堂を仮の教室にしていたと伝えられています。地元では長く「鯨学校」と親しまれていました。なぜ、鯨学校なのか、郷土史「ふる里のむかし わじろ」には次のように記載してあります。「創立当初、校舎はなく授業は近隣の寺を借りて行われており、地元の人々による校舎建設の気運が高まった。しかし、校舎新築には当時としては大金の800円程度が必要とされ、住民たちの勤労奉仕や寄付などにより資金を集めたものの新築費用にはほど遠かった。1881年(明治14年)、村の沖合に鯨が出没し、漁船2隻が沈没、6隻が大破するなど大捕物の末、鯨を浜に引き上げることに成功した。鯨の売却により500円程度の資金が生まれ校舎新築が実現した。この出来事が由来となり鯨学校と呼ばれるようになりました」と。

小中学校の1つ先輩の白石自治会長は「福の神のように現れた鯨と収益を地域に贈った漁師さんたちの話を、長く語り継いでいきましょう」との話を聞きながら、生前「クジラ学校で、読み読み書きを習った」と話していた祖父母を思い出しました。石碑は、福岡漁業協同組合中奈多支所の近くにあります。石碑を見て、先人たちの教育にかける望みを忘れずにしたいと思います。