平和塔の前で 平和を考える
昨日は、叔父落石歳雄の命日でした。1944年(昭和19年)5月28日、ビルマ(現ミャンマー)との国境中国雲南省で戦死しました。戦地の状況は、同じく戦地に動員された故・落石廣保さんの「或る老人の思い出の戦記~散り果てし青春」に詳しく書かれています。この戦記は、約20年前、教員をしていた頃、「戦争のむごさ、悲しさ、理不尽さ、そして、平和の尊さを子どもたちに伝えてほしい」といただいたものです。地元西福禅寺の平和塔記録碑には、日清戦争から太平洋戦争までに戦病死された166名の名前が刻んであります。うち145名は太平洋戦争で犠牲になられた方々です。日清戦争の2名と比べどれだけ悲惨な戦争だったかがわかります。もう一人の叔父の新一郎は同年1月に南太平洋で戦死しており、半年で二人の息子を亡くした祖父母・兄弟姉妹はいかに悲しく辛かったことか、40年前に亡くなった祖母の「戦争は爺さんたちが決め、叔父さんたちの命令で、兄ちゃんたちが死んでいく」の言葉を思い出します。
「日本軍兵士~アジア・太平洋戦争現実~」(吉田 裕著)によれば、アジア・太平洋戦争の日本人戦没者数は、日中戦争も含めて、軍人・軍属(日本軍の兵士として動員された朝鮮人と台湾人の軍人・軍属約5万人を含む)が約230万人、外地の民間人が約30万人、空襲などによる国内の戦災死没者が約50万人、合計約310万人。1944年(昭和19年)以降の犠牲者が約9割。日本政府と軍部、昭和天皇を中心にした宮中グループの戦争終結決意が遅れたため、悲劇がもたらされた」とあります。また、日本軍の侵攻により、2000万人を超える中国や東南アジアの人々が命を奪われ財産をなくしたことも忘れてはなりません。
来月6月19日は「福岡大空襲の日」(今年は新型コロナ感染拡大防止のため、市民会館での合同慰霊祭は中止)、そして、8月6日「広島原爆の日」、9日「長崎原爆の日」と戦争と平和を考える夏を迎えます。日本国憲法前文には「~政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないやうにすることを決意し~」とあり、9条には「国権の発動たる戦争を永久に放棄する」としています。戦中戦後を生き抜いてこられた方々が少なくなり、直接話を聞く機会は減りましたが、映像や新聞、書物等で戦争を追体験し、身近な人たちと戦争が無い世界をいかにつくるか、戦争の火種をいかに消せばいいのか、何ができるのか等、常に考えなければなりません。戦争は自然災害でないのだから。