福島県視察(2日目)
2月2日(木)
・自治体(南相馬市)の復旧復興に向けた取り組み
・警戒区域内の双葉町、大熊町の状況を車中より視察
・仮設住宅の状況
○南相馬市の取り組みと地域医療の現状
(南相馬市 市長 桜井 勝延氏)
1)被害の状況(全人口 71494人 23898世帯)
・死者:640人 行方不明:7人 負傷者:59人
・全壊:1180世帯 大規模半壊:102世帯
半壊:212世 帯 床下浸水:111世帯 計1635世帯
2)市の現況
東京電力福島第一原発の事故を受け、市南側の一部(107平方キロメートル)が20km圏内の警戒区域、市の中心地である原町区と鹿島区の一部(約181平方km)が30km圏内の計画的避難区域及び緊急時避難準備区域、残りの鹿島区(約111平方km)が30km圏外と設定される。
市では事故発生の翌日12日に半径10km圏内の住民に避難指示、3月15日から25日までバスでの集団避難や自主避難により、群馬県や新潟県長岡市三条市等に全人口7万一千人のうち2万6千人が避難中。
現在では、市内の放射線の測定値が下がり、緊急時避難準備区域が解除され、市内全域で電気・水道が使えることから多くの市民が避難先から戻ってきている。
3)市の取り組み
①環境放射線モニタリング
2011年5月より詳細な放射線の実態を把握するために、独自に大気中の放射線量を測定。多くの地点で1μ㏜/hを下回っているが、山側は高い傾向にある。
②医療・介護
震災以降、外来診療のみの状況だったが、緊急時避難準備区域解除によって、各病院のスタッフ数に応じた入院対応が行われている。各病院の許可病床数の2割から3割が入院の受け入。
介護の入所施設については30km圏外だった地域は全て開所になり満床の状態だが、緊急時避難準備区域だった施設は現在再開に向け準備中。
要介護・要支援高齢者の在宅サービスは居宅介護支援事業所や訪問介護事業所等で再開され、市や社会福祉協議会による各種高齢者福祉サービスも再開されている。
③保育・教育関係(小中学校、幼稚園・保育園)
30km圏外の3小1中は市立体育館や農村環境改善センターの施設を使い、4月末には再開。
9月末に緊急時避難準備区域が解除された3小と2中学校は10月中旬に再開、学校施設の改修が行われた3小学校も本年1月には再開しているが、学校に戻った児童生徒は49%にとどまっている。
また、保育園5園と幼稚園6園が開設されたが、8割の園児が避難しているため、戻ってくる園児数の推移を見極めながら検討するとのこと。
④農業
津波により甚大な被害を受けて流失・冠水した農地は、市の耕地の約3割に達している。また、排水機場や農道・排水路・ため池等の多くが崩壊。その上、原発被害により、今年度の水田作付は30㎞圏内で制限されたこともあり市内全域で作付を行わないこととしている。
⑤除染作業
未だ多くの市民、子どもたちが戻っていない。学校を再開するにも、産業を復興するにも除染を進めなければ戻るに戻れない。そのため、市では国が直轄で除染する警戒区域と計画的避難区域を除く地域の住宅や事業所、道路などの除染を大手ゼネコン等の共同企業体に発注する予定。
4)課題
①地域医療の崩壊
・全ての病院が診察を実施しているものの、医師・看護士等の不足から外来のみの診療体制となっている。特に家庭に小さな子や妊婦等をもつ者は、放射能による健康被害を懸念し、市外・県外に避難しているため全ての病院で医療スタッフ不足に陥っている。
②市職員の意欲と疲労
・「震災以来、24時間体制で頑張ってきた。7月中旬から週休2日に戻ったが現実は休みと言いながら休めない。与えられた仕事も終わらせるのに精一杯である。とにかく全職員が住める環境、働ける環境作りにがんばってきた。未だ復旧にも至ってなく、復旧の土台をづくりを行っている」との弁。
市職員880人のうち、本年3月末には定年退職30人を含め120人が退職するという。前述の医師スタッフと同じように小さな子どもがいる職員、高齢者の介護のために退職される職員も多いという。
平成の大合併で職員が減った上、市の復旧復興を支える市職員の減少は痛手である。
1月横浜で開催された脱原発世界会議にも参加された桜井市長は「世界史的な災害であり、この現実をふまえると日本に原発が54基もあっていいのか、野田首相の収束宣言は理解できない。八ッ場ダム建設再開より災害地の道路復旧が先だろう。」と現場感覚のない対応だと国の対応を批判されていました。津波で多くの市民が犠牲になり、放射能汚染により、行方不明者の捜索はもちろんのこと、市全体が20km、30kmという距離で、「警戒区域」「緊急時避難準備区域」「計画的避難区域」と分けられ、復旧復興が計画通りに進まない市長の胸の内を察することができます。
○警戒区域内の双葉郡双葉町、大熊町の状況を車中より視察
①福島県原子力災害対策センター(オフサイトセンター)
福島第1原発と第2原発の事故に対処する目的で設置され、原子力安全・保安院の原子力防災専門官・検査官等が常駐。非常時には事業者と自治体との間で情報収集、対策の検討を行う拠点とされている。
しかし、震災発生と同時に停電が発生、さらに経由を用いた非常用電源も故障し、何の役にも立たなかった。
SPEEDI(放射物質拡散予測システム)や防災モニタリングロボットが活用されなかった等とともに、税金の無駄遣いというより「安全神話」に依拠しての無警戒は厳しくその責任が問われるべきだ。
②線量計で放射線量を計測
同行いただいた石丸さん宅(大熊町、現在いわき市に避難)の雨どい下を計測。線量計は80.2μ㏜/時をさす。
当日9:00、JR福島駅前では0.16μ㏜/時、飯館村(車中)を通る際は0.71μ㏜/時を計測。放射性物質が雨とともに地面に溜まっていることが容易に分かる。
③大熊町の商店街
無人となった大熊町の商店街。
3月11日前は多くの住民が買い物や飲食で賑わっていたであろう。
事故発生の翌日早朝には全町民の避難が決定。
動くものはネコとカラスだけ。
町役場と多くの町民は現在会津若松市に避難中。
④放された牛
福島第2原発近くの田畑で草を食べる牛。
県道6号線(陸前浜街道)を南下するにつれ、道路のいたるところに牛フンがか落ちていた。
未だ多くの牛がいるらしい。警戒中のパトカーに牛が体当たりをしたという話も聞く。
⑤原発事故対応拠点(Jヴィレッジ)
1997年に日本サッカー協会、福島県、東京電力等が出資して開設された日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンター。
原発事故後、スポーツ施設は全面閉鎖し、国が管理する原発事故の対応拠点となっている。
第1原発から約20数kmの所にあり、事故直後はヘリコプターや隊員が放射性物質を除選する場所となり、原発事故に対応する現地調整所が設けられ前線拠点として運用開始。
事故発生直後は1000人の関係者が寝泊まりしていたが、現在は作業員の宿泊地はいわき市内に移り、一日あたり2000人~3000人の作業員がここで作業服に着替え原発に向かう中継基地となっている。
芝のフィールドはヘリポート、臨時駐車場、資材保管場所、東電職員のプレハブとなっている。
⑥仮設住宅の状況
宿泊するかんぽの宿近くにあった佐藤さん(80歳)の仮設住宅にお邪魔しました。
第2原発のある楢葉町(20km警戒区域)から翌日避難、いわき市の体育館に避難し、そこで何週間も過ごしたのち、現在の仮設に入居。
寒さ対策として窓が二重になったりエアコンが3台就いているが、玄関は段差があり、お年寄りは厳しい。