戦争の記憶を風化させないために~福岡市戦没者合同追悼式~
2012年6月19日(火)福岡市民会館でおこなわれました戦没者合同追悼式に参列させていただきました。
本市では、日中戦争の導火線となった1937年7月7日の盧溝橋事件(中国北京市郊外)から太平洋戦争終戦の日(1945年8月15日)、そして戦後の引き揚げ時に、約1万2千人の方々が戦没、戦災死没ならびに引揚死没されたと記録されています。
また、この日は、福岡の街がアメリカのB29爆撃機による空襲を受け多大な犠牲者がでた「福岡大空襲の日」でもあります。
福岡市史によると、夜10時過ぎから約2時間にわたるアメリカB29爆撃機による焼夷弾の空襲により、死傷者約2千人、行方不明者約2百人、被災家屋も約1万3千戸を数えたと言われています。
そのため、毎年この6月19日に、戦争犠牲者の霊を慰め、恒久平和を祈念するための追悼式が挙行されています。
追悼式では多くの遺族の方々が献花をされていましたが、その様子を見ながら、戦争で二人の息子を亡くした祖母のことを思い出していました。
亡き祖母は、子どもの頃、盆が近くになると、私たち孫に、ビルマのジャングルと南太平洋・トラック諸島で戦死した長男と二男(私からすれば伯父)の話を戦地から送られてきた写真や遺品をもとによく話していました。最後には必ず「歳男と新二郎は兵隊にとられた。戦争はすかん」と言っていました。
戦争が終わって今年で67年、戦争の風化がいわれています。福岡市内の学校では平和学習がおこなわれ、私の先輩である退職した先生方が子どもたちに戦時中の体験を伝えようと学校に出向き、空襲のことや苦しい生活の様子等を語られています。
また、天神の赤煉瓦文化館では、福岡市退職教職員協議会の皆さんのご尽力で平和祈念資料展が開催されています。今年は、三日間で530人の方々が訪れたそうです。
戦争の体験者が年をとられている中、記憶を風化させないためにも、平和祈念資料館(室)の設置が急がれます。そのため、私も支援を続けていきます。